皆様こんばんは、Fire忍者です。
今宵は自己紹介をさせて頂こうと思います。と申しましても、現在は世を忍びFireを目指しているという状況なので、現状を多くを語ることはできません。。ですので考えを形成するに至った過去について振り返りたいと思います。
ちなみに現在は江戸在住の30代の会社員で、いわゆる金融機関に勤めております。 元為替ディーラー兼元証券アナリストです。
子供(忍たま)もいる為、ハードルが高いとされる子持ちFireを目指している状態であります。
生い立ち
現在は江戸在住ですが、生まれ育ちは地方の中小都市でした。家庭は裕福ではなく、かといってめちゃめちゃ貧しくもない、と今振り返れば思います。しかし、親からの金銭感覚に関する教育は異なりました。
「うちはお金がないから」「お金を稼ぐのは大変なのよ」等の呪文を頻繁に聞かされており、今思えばこの時にFire忍者の心得のうちの一つを刷り込まれた気がします。このあたりに関しては、自身の忍たまに対する教育について、と関連して後日語りたいと思っています。いずれにせよ母上様、これに関してはありがとう。
そんな中、ひょんなことから小学校高学年から塾に通い始め、その後私立の中高一貫校に行くことになり、一層教育費がかかりました。決して裕福な経済状況ではなかったため、勉強をさぼっている時などに親から言われた言葉で、今でも覚えているのは「あんたにいくら投資していると思っているんだ」「本当に金食い虫だなあ」等です。
今となっては自分の中で消化できており、経済的に苦しい中頑張ってくれていたんだな、と自分も忍たまを持ってみてわかりますが、当時は手裏剣が刺さったような思いをして、それは今も体に刻み込まれています。さらに言えば、こういったことが自分の人生の選択に影響してきているなと感じます。良くも悪くも子どもへの言葉は気を付けないといけないと痛感します。 でも余裕がなかった両親の気持ちもよーくわかりますし、親だけでなく教師や友人からの言葉も含め、そういった手裏剣ビシーッ体験をゼロにはできない以上、乗り越える術を忍たまには身に付けてもらいたいなと思います。
20代
大学時代も基本的に質素な暮らしをしていました。漠然とした将来就きたい職業をもって学部を選び、大学時代を過ごしましたが、下宿の費用がかかること、大学院へ行くとさらに学費がかかること等、主に金銭的な理由から途中であきらめてしまい、就職先を探すことにしました。うーむ、なんとなくお金が稼げそうなところは、、、
せや!金融や!と安直に考え、金融機関を中心に就職活動を行いました。
名のある会社に採用していただきましたが、当初の数年は思っていたよりも給料が低く、しばらくは思い描いた生活とのギャップを感じていました。まあ大した仕事もしてないので当然ですが。。
でも「いつか偉くなって稼いでやる」という野心のようなものは持ち続けていました。金融機関なのでなんとなく海外勤務が花形だという認識があり、飲んだ時には「いつかウォール街で乱舞する」と豪語していました。
20代の頃は会社や仕事、キャリア、お金が自分の将来像を語る上でのほぼ全てでした。将来の夢や展望を語るうえで、それ以外なく、○○歳までに年収○○万円稼いで、どんな部署に行って、どんな役職について、等がライフプランであり、結婚することや子供をもつことなどについては、まあいつか自然にそうなるだろうな、くらいにしか考えていませんでした。
次回、引き続き拙者の素性とFireに関する考え方をお話し致したく存じます。